ツンドラ養生録 2023:《漢方狂い》


― 漢方こと始め ―

 退院してひと月ほどが過ぎた頃、ツンドラは漢方に興味を抱き始めた。K心臓呼吸器病院での入院生活で受けた精神的ダメージと血圧フォビアのせいで、この時期メンタルがかなり損われていたし、高血圧の随伴症状なのか、降圧剤の副作用なのか、はたまた自律神経の失調なのか判らんが、頻繁に起きるノボセや動悸にも悩まされていた。さりとて安定剤を使用するのは抵抗があったので、副作用の少なそうな漢方薬を試してみようかと思ったのだ。

 たまたま近所に、漢方薬をメインに処方している精神科のクリニックがあったので、早速予約を入れた。漢方に関する書物を取り寄せて、お勉強も始めた。
 フムフム、保険適用の薬剤だけで、148処方もあるのか。『インチンゴレイサン』、『オウレンゲドクトウ』…霊験あらたかそうな名前と能書きを読んでいると、片っ端から飲んでみたくなる。しかし、本当に効くのだろうか?効くとしたら、どれくらいで効果が現れるのだろうか?心の中に、たくさんの疑問符が湧いてくる。

 本やインターネットなどで紹介されている漢方の処方例には、メチャクチャ気の長いものが多い。まず1つの方剤を与えて3ヶ月間様子を見る。効果が認められないようなら別の方剤を与えて、また3ヶ月…みたいな感じ。これは、患者に相当の忍耐を強いる。症状にはかばかしい改善が見られぬまま、根気よくクスリを飲み続けるなんて、気の短いツンドラにはとてもムリだ。
 期待と疑念があい半ばする中、ふと思い出したのが中学生の頃、生理痛を訴えるツンドラのために母が煎じてくれた『喜谷実母散』だ。あれはよく効いた。飲み始めた次の月から、確かに痛みが軽くなった。臭くて苦くて、とても飲みづらかったが。遠い目でチューボー時代のいたいけな自分を回想しながら、ツンドラは、“案ずるより産むが易し”の心境になっていった。


― 漢方飲んでみた ―

 そうこうするうち、季節は春彼岸。いよいよ漢方クリニックの受診日である。
 院長は、40歳前後(?)の女医さん。ツンドラは彼女に、救急搬送から現在に至るまでの経緯を話し、高血圧と精神不安と、ついでに十年来の悩みのタネである腰痛に効くクスリを下さいと、欲張りなお願いをした。

 まず医師は、舌を見たり腹部を押してみたりして、ツンドラの“証”を調べた。“証”とは漢方における体質のことで、それによって、同じ症状でも処方される薬剤が違ってくるのだ。イメージとしては、固太りで元気モリモリタイプの人は“実証”、細身で見るからに虚弱そうな人は“虚証”、その中間が“虚実間証”だろうか。
 医師は、ツンドラがなんの証であるかは言わぬまま、2つのクスリを処方した。高血圧と精神症状に対しては『柴胡加竜骨牡蛎湯』(サイコカリュウコツボレイトウ)、腰痛に対しては『当帰四逆加呉茱萸生姜湯』(トウキシギャクカゴシュユショウキョウトウ)、どちらもやたら長い名前の方剤である。

 家に帰ってさっそく飲んでみたが、これといった作用感は起こらない。気分がスーッと落ち着くとか、腰のあたりがポカポカしてくるとか、何かしらあるのではないかと期待していたので、ちょっとガッカリ。


― いろいろ飲んでみたけれど ―

 クリニックへは、2週間に1度のペースで通院することになった。
 〈1つのクスリを数ヶ月試して効き目を見るのが漢方治療〉というツンドラの思い込みに反して、医師は目まぐるしく処方を変えた。
「飲んでみたけど、ピンと来ませんでした。」
と言うと、そのつど別のクスリを出してくる。当初、〈症状にはかばかしい改善が見られぬまま、根気よくクスリを飲み続けるなんてムリ〉と思ったツンドラではあるが、あまりに切り換えが早いと、〈こんなんで効果の見極めが付くんかい?〉と、逆に疑念が生じる。

 “精神科”の看板を掲げているワリには診療内容がいまひとつザツなのと、処方される散剤(粉グスリ)の飲みづらさに嫌気が差して、通院は半年ほどでやめてしまった。その間に、クリニックから出されたクスリが7品目。その他、ドラッグストアやネットで自ら買い求めたものが10品目。まさに、自分自身を用いた“人体実験”の日々だった。そして残念なことに、それらの中に、優れた薬効を感じさせるものは殆どなかった。*

 漢方には即効性のあるものと、時間をかけて体質を改善してゆくタイプのものとがある。
 前者の代表格が、市販の便秘薬としても出回っている『大黄甘草湯』だ。一粒飲めば、翌朝の快適なお通じを約束してくれるこのクスリ、ツンドラも常日頃、大いにお世話になっている。その他にも、風邪の引き始めの『葛根湯』とか、こむら返りに効く『芍薬甘草湯』とか、いろいろとある。
 今回の人体実験で試したクスリは、その殆どが、後者に属するのであろう。腰痛向けとされているクスリを飲んでも、眼の前の痛みが消えるワケではない。高血圧に効くとされているクスリを飲んでも、すぐに血圧の数値が下がるものでもない。
 確かに、永年かけて作り上げた体質が一朝一夕で変わる筈がないだろう。しかし、効いているのかいないのか判らないクスリを飲み続けるというのは、目には見えない神様を信心するのと一緒で、意志の力を要するものだ。そして、ツンドラの意志はトウフよりも脆い。だから、“イエス=キリストの奇跡”のようなエビデンスが欲しくなるのだ。


― 漢方断ち ―

 そこで思いついたのが、“漢方断ち”だ。しばらくの間、漢方薬を一切飲まないことにしたのだ。逆説的ではあるが、それでもし体調が悪くなるようなことがあれば、「ああ、やっぱり漢方ってカラダに良かったのね。短気を起こさず、続けてみよう」と思えるではないか。

 飲むのを止めて2週間、これと言って、体調の変化は起きなかった。当時飲んでいたのは『加味逍遙散』と『桂枝茯苓丸』だが、別に飲まなくとも、精神不安定になることも腰痛が悪化することもない。だからツンドラは、そのまま“お休み状態”を続けることにした。
 それと同時に、あれほど燃え盛っていたツンドラの中の漢方熱も、急速に冷めてしまった。何事につけても、飽きっぽい性分なのである。後には、飲みかけのクスリの山だけが残った。


* 漢方の名誉のために、“効いた”感のあったおクスリを2点、ご紹介しておきます。

《七物降下湯》(シチモツコウカトウ)

 高血圧の随伴症状に効くとされているおクスリ。主薬の釣藤鈎(チョウトウコウ)には、脳をリラックスさせる作用があるので、キンチョー状態で眠れぬ夜などに少し多めに飲むと、役に立つと思います。
 釣藤鈎が配合されたおクスリとしては、他に《釣藤散》、《抑肝散》などがあります。

《桂枝加芍薬湯》(ケイシカシャクヤクトウ)

 便秘にも下痢にも効くという、フシギなお腹のおクスリ。緩めの時に服用したら、1回で通常モードに戻りました。