『サチコのサチ』


《第二章》

― 社長命令 ―

 「ハァ〜。」
デスクの前に座り、中山宗介は深いため息をつ
いた。
「先月のレコード売上トップテンのうち、六曲
までがグループサウンズだ。まったく、歌謡曲
の世界もすっかり様子が変わっちまったな。」
 宗介は、『ハレルヤ・プロ』という名の芸能プロダクションを経営している。太いストライプのダブルのスーツに派手な色のネクタイが、定番のスタイル。エラの張った精力的な顔に、常に自分の想念を追いかけているような三白眼が光る、五十がらみの男である。社員は彼の他に、マネージャーと事務兼留守番の女性が一名ずつ。いまは、マネージャーの松山吾郎を相手にボヤいている。
 「これまでウチは、太助となみ子の演歌二本柱でなんとかやってきたが、近頃じゃあ仕事の依頼はパッタリ、来るのは支払うアテもない請求書ばかりだ。」
「演歌は、このまま廃れていくんでしょうか?」
いつになく気弱な社長の様子に、吾郎は不安になって問いかけた。
「いや、オレはそうは思わんよ。人の心は移ろいやすいからな。そのうちまた日の目を見る時も来るだろうさ。」
デスクの上に散乱する請求書の支払い期限を確認しながら、社長は言う。
「逆に、グループサウンズ人気なんてものは、ビートルズだのローリングナントカだの、毛唐の楽団の人気に便乗した一過性のブームだ。永くは続くまいよ。」

 蛇足かもしれないが、グループサウンズとは、文字通りグループ、すなわちバンドにより演奏される音楽のことである。1966年頃から人気に火が着き、あっと言う間に日本の歌謡シーンを席捲してしまった。
 バンド・ミュージックと言えば、1950年代後半から、若者の間ではロカビリーが人気を集めていたが、こちらはブルースやカントリーの影響を受けた、ワイルド感の強い音楽だった。一方、後発のグループサウンズにおいては、彼らのスタイルのお手本であったブリティッシュ・ロックの反社会的要素は弱められ、ロマンチックで甘やかな恋愛が、主要なテーマとされた。
 長髪に細身のズボン、エレキギターの刺激的なサウンド、身をくねらせたり失神してみせたりといった派手なパフォーマンスが、若い女性たちをとりこにした。一見不良っぽい若者たちが奏でる、優しく感傷的な音楽…この絶妙なバランスが、逸脱に憧れつつも、傷付くことを恐れる乙女たちのハートを、見事に捉えたのである。

 話を社長のボヤキに戻そう。
「だがな、その前に会社が潰れちまっちゃ、話にならん。」
彼はやおら立ち上がり、宣言した。
「ゴロー、ウチもグループサウンズを手掛けるぞ。」
「は?グループサウンズをウチがですか?」
吾郎は、あっけに取られて訊き返した。これまで、演歌路線一筋で営業活動をしてきた『ハレルヤ・プロ』である。いきなりグループサウンズのプロデュースなんて、できるのだろうか?
 「そうだ。一曲当てれば借金完済。三曲当たれば、一階がラーメン屋の雑居ビルからいま建設中の超高層オフィスビルへお引っ越し。うまくして人気が続けば、自社ビルだって夢じゃない!」
三白眼で宙を睨み、社長は完全に、皮算用の世界に没入している。そして、おごそかに吾郎に命じた。
「そのためには、まず人材の確保だ。ゴロー、街へ出て、オマエが最高だと思うバンドをスカウトしてこい。」



― 天女 ―

 重い足どりでアパートの階段を昇ると、ゴローは、「ただいまー」と言いながらドアを開けた。
 「お帰りなさい。今日は蒸し暑かったわね。」
妻の翠(ミドリ)が、笑顔で迎えてくれる。
「ああ。ユキちゃん、どう?」
「いま、ようやく寝てくれたとこ。」
小さなフトンの上でスヤスヤと眠っているのは、生後六ヶ月になる二人の愛娘、由紀子である。
「フッ、可愛い顔してらぁ。」
赤ん坊の寝顔を見ながら、ゴローは、仕事の疲れが消えてゆくのを感じるのだった。

 「今日はね、お肉屋さんでロースが特売だったのよ。」
得意げに言いながら、ミドリがトンカツの載った皿を、ゴローの前に置いた。
「すごいな!」
「キャベツはお代わり自由よ。」
 仕事柄、帰宅時間の不規則なゴローは、休みの日以外に、妻と夕食を共にする機会がほとんどない。何時になるか判らぬものを待っている必要はないと、結婚した時に言い渡してあるのだ。だが、この日は早く帰れそうだと告げてあったので、ミドリは奮発したのだろう。普段は、ジャガイモにあるかないかの肉片が混ざったコロッケが、松山家の定番メニューである。
 妻の心遣いをいじらしく思いながら、ゴローは揚げたてのロースカツを食べ始めた。柔らかく弾力のある豚肉の食感を味わうことに集中していたゴローが、ふと静かだなと思って目を上げると、ミドリは箸を持ったまま、こっくりこっくりと船を漕いでいる。
〈ミドリちゃん、ユキちゃんの世話で、夜中に何回も起きてるもんな。そりゃ、眠くもなるよな。〉
ゴローはミドリの手からそおっと箸を取り上げ、ちゃぶ台の上に置いた。
 透き通るような白い頬に、長いまつ毛が影を落としている。その美しい寝顔に見入りながら、ゴローは思うのだった。
〈独身時代のミドリちゃんは、宝映のニューフェイスで、ボクから見たら、天女のような存在だったんだよな。あのまま女優を続けていれば、ヒロインだって夢じゃなかったろうに、どうしてボクみたいな男のところへ来てくれたんだろう?〉
 このことについて考え始めると、ゴローはいつも、キツネに化かされているような気分になる。一家の住いは、六畳と四畳半の二間に簡単な炊事場が付いただけの、安アパートである。風呂はなくトイレも共同、壁が薄いので、赤ん坊が夜泣きをすると、隣室への気兼ねから、夫婦交替で外へ連れ出すこともしばしばだ。その他の面でも、ゴローの薄給では切り詰めた生活しかできないが、それでもミドリは、毎日けっこう楽しそうだ。

 そもそもミドリと接点を持つようになったのは、二年前、当時人気が高かった宝映の股旅者シリーズに、『ハレルヤ・プロ』所属のしがらき太助が出演したのがきっかけである。その映画に、ミドリは二番手の娘役として出演していた。
 太助は主題歌を歌う他、主演スターのおっちょこちょいな子分の役で、本編にも出演していたので、マネージャーのゴローも、しばしば撮影現場に立ち合った。そんな時、茶屋の娘に扮したミドリの初々しい姿を見て、眩しく感じたりもしたが、所詮は高嶺の花、アプローチを掛けることなど、夢にも思わぬゴローであった。撮影後の会食などで、二言三言、言葉を交す機会もあったが、それもその場限りのことで、関係が深まることもないままに、撮影は終了した。
 ところが、クランクアップからしばらく経ったある晩のこと、スーツケースを下げたミドリが突然、ゴローのアパートを訪ねて来た。そして、〈どうしてここが判ったんだろう?!〉と、パニックに陥っているゴローの前で、三つ指をついてこう言ったのだ。
「お願いです。わたしをゴローさんのお嫁さんにして下さい。」
 いわゆる、“押しかけ女房”である。が、押しかけられたゴローは、どうひいき目に見ても、色男ではない。下ぶくれの童顔だし、男性としては小柄で、ハイヒールを履くとミドリの方が背が高くなる。“風采が上がらない”という言葉が、一番ピッタリくるような男なのだ。
 もとよりゴローに断る理由などなく、押し戴くようにしてミドリを嫁に迎えたが、彼女がなぜ自分を選んだのか、子まで成したいまに至るまで、ゴローは尋ねたことがない。尋ねた途端、羽衣伝説の天女のように、ミドリがどこかへ飛び去ってしまうような気がして、怖かったのである。



― 盆踊り ―

 スナックや赤提灯が並ぶ曲がりくねった路地を、ゴローは歩いてゆく。すれ違う酔漢たちが、
「プッ、なんだあれ、男のクセに、赤ん坊なんかオンブしやがって。」
「ハハハ、よっぽど女房のシリに敷かれてるんだろうさ。」
などと嘲笑う声が聞こえてきても、ゴローは気にしない。
〈吾が子を背負うて何が悪い〉と思うだけだ。そんなことより、彼には早急に解決すべき大命題があるのだ。
 「最高のバンドをスカウトしてこい!」という社長の命令が下されて以来、ゴローは夜な夜な都内のライヴハウスやジャズ喫茶に足を運び、アマチュアバンドの演奏に耳を傾けてきた。だが、半月経ったいまでも、これはというバンドに出会えずにいる。容姿の優れた者は演奏力に欠け、演奏力に秀でた者は見た目が残念、その双方をそこそこ満たしているバンドが一つだけあったが、極端に自惚れが強く、リーダーの男はゴローが差し出した名刺をろくろく見もせず、
「プロデビュー?オレたちが目指してんのはロンドンだから。」
と来たもんだ。
 大学を卒業して大手の銀行に就職したものの、半年で心身に変調をきたし退職。以来、定職にも就かずフラフラしていた自分を中山社長は雇い入れ、芸能マネージャーの仕事を一から仕込んでくれた。事務所の経営が危機に瀕しているいま、一発手柄を立てて、その恩義に報いたい思いは強い。いや、それ以前に、会社が潰れてしまったら、妻子ともども路頭に迷う。やはり、京都、大阪、あるいは博多あたりまで足を伸ばすべきだろうか?

 あれやこれやと考え、悶々としながら路地を辿るゴローの耳に、呑み屋から流れ出る歌謡曲やパチンコ屋の騒音に混じって、笛と太鼓の音が聞こえてきた。
〈はて、なんの音だろう?〉
ゴローは足を止めた。考え事をしながら歩いていたので気付かなかったが、通りのそこここには、《祭禮》と書かれた提灯が掲げられている。
〈ああ、盆踊りか。そう言えば、今日は旧盆だったな。〉
 お囃子の音に導かれるように歩を進めると、目の前に、川端八幡神社の鳥居が現れた。ゴローが住む町の氏神様である。踊りはいままさに佳境に入っているらしく、夜店が軒を連ねる参道の奥から、浮き立つような音頭の響きが溢れ出してくる。
 「ウフッ、ウフッ」
背中の由紀子が声を上げる。彼女が機嫌のよい時に出す声だ。
「おっ、ユキちゃんも楽しいか?よし、見に行ってみよう。」

 建物の密集した下町にありながら、川端八幡の境内は、盆踊りを催すのに足るだけの広さがある。社殿に向かって左手のスペースに櫓が組まれ、その周りをたくさんの踊り手たちが取り巻いていた。櫓の上から、音頭取りの青年が語りかける。
「ありがとうございまーす。次は、三波春夫さんの『東京オリンピック音頭』でーす。皆さん、ますます盛り上がっていきましょう!」

「ドドン、ドン!」
「テケテッテ」
「ドドン、ドン!」
「テケテッテ」

大太鼓と小太鼓の小気味よい掛け合いに続いて、三味線と笛で前奏が奏でられると、踊り手たちは一斉に動き出した。
「はあぁ〜えぇ〜、あの日ローマで眺めた月が〜」
歌が始まる。なかなかいい声だ。
 石灯籠の傍らで、ぼんやりと人々が踊る様子を見ていたゴローは、この時ふいにゾクッとした。踊り手たちの同調性が、異様に高いのだ。拍子に身を委ね、一糸乱れぬ輪になって、櫓の周りを進んでゆく。
〈こりゃ凄いや、日頃から町内で猛練習とかしてるのかしら?〉
 しかし、浴衣姿の老若男女の群をなおも眺めるうちに、彼は気付いた。
〈いや違う、同調性の高さを感じさせるのは、所作のせいではない。彼らの意気だ。意気がピッタリ合っているんだ。〉
よくよく見れば、手の角度、足の運びなど、細部がさほど揃っているわけでもない。
〈踊り手たちはいま、自我を放棄して、集合無意識の世界に没入している。そして、彼らをそのような境地へと導いているのは、このお囃子の心地よさだ!〉
 ゴローは櫓に目を向けた。二の腕を剥き出しにして大太鼓を叩く青年、彼が生み出すグルーヴ感は、ベースギターに最適だ!それに呼応する小太鼓のキレのよさ、あのメガネの子には、スネアを叩かせてみたい!そして何より、音頭取りの青年の声。シルクのなめらかさに羊毛の温もりを織り込んだような響きは、一度聴いたら忘れられない。音程の確かさや節回しの巧みさも、心地よさの理由として挙げられよう。だが、それだけではない。そうだ!彼の歌声には、人の魂を目覚めさせる霊力があるのだ!
 以上のようなことを瞬時に考えたゴローの頭の中では、王子様風の衣装を着けて微笑むトリオの姿が、既に像を結んでいた。そして彼は、うわずった声で呟いた。
「見つけたぞ、コイツらだ。」

 「お疲れさん、いやぁヨカッタよ〜。みんな喜んで帰ってった。ありがとね。」
世話役の氏子衆のオジサンが、冷えたビールをヨシオのコップに注いでくれる。開け放った社務所では、盆踊りの打ち上げが始まっていた。未成年のワタルとミチオには、バヤリース・オレンジだ。そこへ、背中に赤ん坊を括りつけた見知らぬ男が現れて、彼らに言った。
「君たち、ちょっと話をさせてもらってもいいかしら?」



― ヨシオの妄想 ―

 数日後、赤子を背負った奇妙な男に請われるままに、ワタル・ヨシオ・ミチオの三人は、『ハレルヤ・プロ』の事務所を訪れた。『松山吾郎』と名乗るその男は、「グループサウンズをやってみないか?」みたいなことを言っていたが、あまりにも現実離れした話なので、限りなく怪しいと彼らは思っていた。
 雑居ビルの四階にある事務所のドアを叩くと、その松山氏が待っていたようにドアを開いた。
「ああ、よかった。来てくれたんですね。」
ホッとした表情でそう言うと、彼は、パーテーションで仕切られただけの応接コーナーに三人を導いた。

 出前のコーヒーが五つ運ばれてきて、テーブルの上に置かれる。ほどなくして、パーテーションの陰から一人の中年男性が現れた。仕立ての良さそうなダブルのスーツに身を包んだその男性は、ダミ声で、
「いやいや、よく来てくれました。わたし、社長の中山です。」
と言いながら、三人に名刺を渡した。腰の低さと威圧感とを合わせ持った、いかにも“叩き上げ”といった感じの人物である。
 「松山君からおおよその話は聞いてもらってますか?」
中山社長の問いに、
「グループサウンズですよね。あり得ないです。ボクたち、バンド経験もないし。」
と、ワタルが即座に答える。
「そうそう、第一、硬派の兄ちゃんがグループサウンズなんて…」
ミチオが最後まで言い切らないうちに、
「オレ、やってみようかな。」
と、ヨシオが呟いた。
 これにはワタルもミチオも、コーヒーにむせるほど驚いた。三人の中で、この話に最も警戒心を募らせていたのが、ヨシオだったからである。
 「だってさ、考えてもみろよ。」
口をポカンと開けて自分を見つめている二人に向かって、ヨシオは語り始めた。
「大学を卒業したら、オレは親父のもとでお茶屋の修行だ。そして、いずれはお茶屋の主人になって、多分死ぬまで地味で堅実な人生を送るんだぞ。芸能界なんていう海千山千の世界とは、まったく無縁の暮らしだ。」
社長とゴローは、ここでちょっと俯いた。
 遠い目になりながら、ヨシオは続ける。
「だが、いい齢をしたオヤジになった頃、ふと思うんだな。オレの人生、本当にこれでいいのか?もっと別の生き方があったんじゃないか?オレの顔さえ見れば小言を言う女房、ギャアギャアと兄弟ゲンカをするガキどもにいたたまれなくなったオレは、夜の街へ出る。」
話がどんどん具体的になってゆく。
「そこへ現れるのが、魔性の女だ。二人はすぐにねんごろになり、手に手を取っての逃避行。ところがその女ときたら、とんだ性悪で…」
 「妄想の世界はもういいよ。」
ワタルがヨシオの口を塞いだ。
「要するに、若いうちにいろんな経験をした方がいいってことでしょ?ヨッちゃんがそう思うなら、ボク、一緒にやってみてもいいよ。」
社長とゴローの顔が、パァーッと明るくなる。
「芸能は本来、神様に捧げるものだからね。“御奉仕”のつもりで務めさせてもらうさ。」
ワタルは、ニッコリと微笑んだ。
 「ミッちゃんは、どう思う?」
ワタルに振られたミチオは一言、
「御意に。」
と答えた。何事にも、簡潔を好む男なのである。



― バンド結成 ―

 話を受けるに当たって、三人は三つの条件を出した。

その一 : 活動期間は、ヨシオの大学卒業までとすること。
その二 : 落第しない程度に、学業を優先させてもらうこと。
その三 : 身元がバレないように、バンド活動をする時は、変装させてもらうこと。

 条件は受け入れられ、デビューを目指しての準備がスタートした。
 まず必要なのは、楽器の習得である。ゴローのインスピレーションにのっとって、ワタルにはヴォーカルとギター、ヨシオにはベース、ミチオにはドラムが割り振られた。
 洋楽器の経験を持たない三人に対して、プロによる集中的なレッスンが行われた。和太鼓からドラムへ平行移動のミチオはともかく、撥弦楽器担当のワタルとヨシオは、かなりの困難に直面することが予想されたが、ヨシオはベースギターの扱いを理解すると、簡単な練習曲くらいはすぐに弾きこなしてしまった。ワタルの方は、最初、コードをきれいに鳴らすことに苦労したが、中学生の時から毎年参加させられていた雅楽の講習会で、琵琶を弾いた経験があったので、ギターという楽器に対する心理的ハードルは低かった。
 丁度、大学が夏休みに入ったところで、三人は連日、スタジオに通って練習に励んだ。その結果、秋風が吹き始める頃には、彼らは何曲かのレパートリーを演奏できるレベルに到達していた。

 演奏の方がどうにか形になってきたので、お次は、ヴィジュアル作りだ。三人は、中山社長の司令を受け、彼の妹が経営する美容室へと向かった。
 『ヘアーサロン・ホザーナ』と金文字で描かれたガラス扉を押すと、店内から“女臭い”空気が流れ出し、彼らをドギマギさせた。
「いらっしゃいませ。兄から聞いて、楽しみにお待ちしていたのよ。」
サロンのあるじ、朋子さんが、愛想よく迎えてくれる。社長によく似た顔立ちで、決して美人ではないが、髪を高く結い上げ、自分の個性を生かすメイクをした、オシャレな人だ。本日は貸し切りで、変装用カツラのフィッティングを行うのである。
 テーブルの上にはおびただしい数のカツラが並べられ、二名のアシスタントがせっせと形を整えている。朋子さんは、三人を鏡の前に座らせると、それぞれの顔立ちに合いそうなものを、次々に被せていった。ゴローがその様子を、ポラロイドカメラに収めてゆく。
 変装のために被るのであるから、イメージがガラッと変わるものでなければならない。リードヴォーカルを担うワタルには、重めの前髪と耳を覆うスタイルのものが選ばれた。グループサウンズ定番の、マッシュルームである。ワイルドなベーシスト、ヨシオは、激しくうねるカーリーヘアで決まりだ。
 ミチオの番になった時、朋子さんはイメージを掴むため、
「ちょっとゴメンなさいね。」
と言いながら、彼のメガネを外した。すると、息を呑むほどの美青年が、鏡の中に映し出された。くっきりした二重まぶたと潤んだ瞳、細く筋の通った鼻梁、引き締まった品のよい口元…アシスタントの女性たちが、賛嘆のため息を漏らす。朋子さんもしばしの間、鏡に見入っていたが、やがて、数ある中から迷わず“小公子風”縦ロールのカツラを取り上げると、ミチオの頭に被せた。

 「いや〜、無事ヘアスタイルも決まったそうで、よかったよかった!」
打ち合わせのため事務所に呼び出された三人を前に、社長は上機嫌で言った。
 「次は、売り込み用のデモテープ作りと写真撮影だ。だがその前に、君たちに名前を付けなきゃな。本名は出したくないんだろ?」
ヨシオがすかさず答える。
「はい。あの社長、オレ、どうせなら横文字の名前がいいんですけど。たとえば“ジョニー”とか…」
「そうそう、“フレディ”とかね。」ワタルがそれに続く。
「だったらボクは、やっぱり“セドリック”かな。」
ミチオも一応、希望を述べた。
 「やめときなさい。そんな安っぽい名前。」
社長はフッと笑って、一蹴した。
「君たちのために、わたしが最高の名前を考えておいた。」
彼は立ち上がると、三白眼で一人一人を見据えながら、厳かに告げた。
「ヨシオ君、君は今日から『ソロモン』だ。ワタル君は『パウロ』、ミチオ君は『ルカ』、そしてバンド名は、“愛のメッセンジャー”の意味を込めて、『ザ・ミッションズ』だ!」
 これまた蛇足かもしれないが、ソロモンは古代イスラエルの黄金時代を築いた王、パウロは初期キリスト教の伝道者、ルカは福音書の著者、いずれもキリスト教の関係者だ。社長は、背広の内ポケットからロザリオを取り出すと、それに口づけ、
「こう見えても、わたしは敬虔なカトリックなんだよ。」
と言った。
 キョトンとしている三人の前で、彼は続けた。
「日本男児は、愛情表現が苦手だからな。女たちは、ロマンスに飢えとるんだ。ほとばしる情熱を持て余す彼女たちに、君たちが愛の福音を届けてやって欲しい。」
自分たちにそんな大任が務まるとは到底思えなかったが、社長の磁場に引きずり込まれた三人は、上ずった声で「頑張ります!」と誓うのであった。