ツンドラ養生録 2023:《コロナ部屋》


― まぼろしの個室 ―

 入院当初から空きができ次第、また病状が許すようなら、個室へ移してくれと要望していたツンドラ。ヘンな医者事件があった日の晩か、或いはその翌日だったか、ちょっと記憶が定かでないのだが、念願叶って、個室へお引っ越しできることになった。

 自分一人の静か〜な空間に身を置くのは、入院以来初めてのことだ。
「あ〜、シアワセ…」
個室のベッドに身を横たえ、ツンドラは歓喜のため息を漏らした。
 その時、カーテンを開いて、一人のオトコが現れた。看護師長を名乗るそのオトコは、ツンドラに向かってこう告げた。
「ツンドラさん、個室に移って頂いた直後で、大変申し上げにくいんですが…」
(なんだなんだ?)← ツンドラの心の声
「本日のPCR検査で、陽性が出てしまいまして…」
(なぬーっ?!)← ツンドラの心の声
「ただいまから、コロナ専用の病室へ移動して頂かなくてはなりません。」

 そう言や、この病院でも、何度か鼻の奥をえぐり取られたな。その結果が陽性だって?このツンドラ様があんな流行り病に罹るとは、なんたる不覚…混乱しているうちに、無慈悲な看護師たちは、ツンドラをベッドごとコロナ部屋へと運んでしまった。
 ゲンキンなもので、それまでなんともなかったくせに、コロナの宣告を受けた途端、モーレツな寒気が襲ってきた。ガクガクと、オコリのように身体が震える。それと同時に、体温も40度まで急上昇。これがコロナとゆーものか。たった一夜も過ごすことのできなかった個室に未練を感じつつ、ツンドラは人事不省の世界に落ちていった。


― コロナ部屋 その1:食い物の恨み ―

 かくしてツンドラは、コロナ罹患者専用病室に収容された。同居の家族に発症者はいないので、ほぼ確実に院内感染だ。

 病棟の端っこに何室か設けられているらしいこの部屋、医師や看護師ら医療スタッフが入室する際は、防護服で完全防備。収容者はもちろん、部屋から一歩も出られない。だから、トイレはオマルかオムツだ。水回りも使用禁止のため、歯磨きはコップ一杯の水で、口をすすぎ歯ブラシをゆすぐ。まるで、永平寺の雲水にでもなった気分だ。
 食事は、弁当パックに入った状態で供される。相変わらず胃がシクシクして食欲が湧かないし、さりとて栄養ドリンクは甘過ぎてギブアップのツンドラは、どーしたものかと看護師さんに相談した。すると、「“ゆかり”のオニギリはどうですか?」とのご提案。
 おお、それならイケそうと応じたはいいが、それ以来1日3回、来る日も来る日も与えられるのは、“ゆかり”のオニギリ1個のみ。それも、推定重量100g以下の超極小オニギリだ。あ、デザートのゼリーもあったな。医療用の、メチャ甘いヤツ。

 圧倒的なカロリー不足と栄養バランスの悪さを感じ、フツーの食事に戻して下さいと、ツンドラはお願いした。そしたら、今度は冷たいカレーが出てきた。弁当パックの底が透けて見えるくらいにうっすらと盛られたゴハンに、スプーン3杯ほどのルーが添えられている。ワタシ別に、糖尿とかじゃないんですけど。
 コロナ騒動の始めの頃、宿泊療養施設として使用されていたアパホテルが、療養者の食事に自社のレトルト・カレーを出して炎上した件があったが、あったかかったんだろ?おまけにカツまで乗っかってたんだろ?上等じゃないかとツンドラは言いたい。K心臓呼吸器病院、一体どんだけ“中抜き”しているのさ。


― コロナ部屋 その2:工事現場 ―

 ツンドラは、12日間をコロナ部屋で過ごしたのだが、ここでも安眠は許されなかった。

 同じ病室の、まさにツンドラの足元に、透析患者の方が寝ておられる。しかも、話すこともままならぬくらい、重篤な状態らしい。透析器というものがどのような仕組みになっているのか、ツンドラは知らないのだが、この器械、昼夜を問わず、ピーピーとアラーム音を鳴らす。輸液が滞ったりすると鳴るのかな?
 看護師は、ドアを隔てた隣室に詰めているのだが、アラームが鳴ってもなかなか来ない。昼間はともかく、夜はとても寝ていられないので、ツンドラはナースコールを押す。
「アラーム止めて下さい。」
「ハーイ、いま行きまーす。」
それから彼らは(ゆっくりと)防護服を身に着けてやってくる。そして、チョコチョコっと何かの操作をして引き上げてゆくのだが、いくらも経たないうちに、またピーピーが始まる。

 もう一つが痰の吸引。意識もあるやなしやと思われる透析患者さんに向かって、看護師が
「○○さん、お口開けて!」
と呼びかける声。それに続く、ジュルジュルジュル〜というバキュームの音。
 これらがセットで、一日に何回も繰り返される。まるで、工事現場で寝ているようなものだ。それに、パーテーションの隙間から見えてしまうメタリックな機材の一部、ポールにいくつも吊り下げられた輸液の袋、点滅するアラームの赤い光などが、いやが上にもメンタルを攻撃してくる。機械に繋がれ生かされることの意味、医療の在り方って、人間の尊厳って…常日頃から働きが鈍い上に、寝不足のツンドラの脳髄に、重〜いテーマが次々と浮かんでは消え、消えては浮かび、精神を消耗させるのだ。


― コロナ部屋 その3:実況中継 ―

 夜中に何回もナースコールを鳴らすめんどくせーヤツと思われたのか、5日目に、ツンドラはお部屋変えになった。今度のお部屋はアラームも鳴らず、これまでで一番静かな環境♪ただ一つ、左隣りの患者さんの“実況中継”を除いては。

 先述したように、コロナ部屋での用便は、オマルかオムツである。フツー、足腰が立つのであれば、オマルを選択すると思うのだが、彼女はオムツを希望。ご年配ではあるものの、病室内を元気に歩き回っておられるのに、何故だ?オムツマニアか?任に当たる看護師さんの中には男性もいるのだが、そんなことは意に介さないらしい。
 そして、1日に何回か行われるオムツ交換の詳細が、カーテンを隔てて聴こえてくる。
(ナースコールを押して)
「あのね、出たからお願いします。」
(オムツを換えてもらいながら)
「あ〜、なんだかもうちょっと出そう。すみませんね。」
(作業が終わって)
「あ〜ヨカッタ。助かりました。ありがとう。もう行っちゃうの?淋しい。また呼んじゃうかも。」

 そうだ、彼女は淋しがり屋で、誰かに構って欲しいのだ。確かに、コロナ部屋では患者同士の交流は禁止されているし、話し相手が欲しくなる気持ちは解る。ツンドラだって、リハビリ担当の理学療法士さんと、毎日ペンダント医者の悪口を言い合っては盛り上がってるもんな。
 だから彼女は、看護師さんの去り際に必ず、
「また来て。」
と声を掛ける。彼女への対応で、看護師さんそれぞれの資質が見えるのが、ツンドラには興味深かった。菩薩の生まれ変わりかと思われるような優しく忍耐強い人もいれば、“業務の一環ですから”感の漂うドライなタイプ、中にはメンタル壊れてて、転職した方がいいよと助言してやりたくなるヤツもいた。
 だが、幸いなことに、そんなキャラの違いはお隣さんには伝わらないらしい。誰に対しても、
「また来て。すぐ来てね。」
と無邪気に甘える彼女を、皮肉ではなく、ツンドラは羨ましく思うのであった。


― 退院 ―

 ツンドラが入院して、2週間近くが過ぎようとしていた。毎日、ただ低栄養状態で寝かされているだけで、点滴以外、これといった処置は施されていない。相変わらず1日置きに、CT撮影と採血は行われていたが、それについての説明がないのも、相変わらずだ。
 だから、自分の身体が現在どのような状態で、この先どれくらい入院していればよいのかも判らない。看護師に尋ねても、
「う〜ん、まずは少しずつリハビリして、カラダを慣らしていかないとね…」
と、お茶を濁す。これは患者にとって、とてつもなく不安なことである。

 しかし、ツンドラは元気だった。血圧は安定しているし、コロナに関しても、最初こそ40度の高熱が出たが、翌日にはケロリと下がってしまった。他の症状も一切ナシ。咳のひとつも出やしない(自慢じゃないが、このツンドラ、ワクチン未接種だぞ)。このままダラダラと入院していても、カロリー不足と運動不足でケンコーを損うばかりだ。丸2週間洗っていないので、髪の毛だってベトベトのホームレス状態だ。気持ち悪いことこの上ない。
 ツンドラが何も言わなければ、リハビリ・メニューをきっちりこなすまで、“いいお客さん”にされるに違いない。最低でも、あと1週間くらいか?冗談じゃない!こんなところに長居は無用だ。退院するぞ。誰がなんと言っても、退院するのだ。
 看護師長に退院希望の意志を伝えると、止めてもムダと思ったのか、翌朝には許可が下りた。コロナ・ウィルスも陰性になっていたので、ツンドラは一般病棟に移り、最後の夜を過ごした。点滴も排尿用の管も抜かれ、フツーのトイレで用を足すのは、実に清々しかった。

 退院する日の朝、主治医のペンダント野郎が初めて(!)病床を訪れた。
「ツンドラさん、ヨカッタね。2週間後に外来の予約入れといたから、来てね。」
だと。誰が来るか。それでもツンドラは、ベッドの上で三つ指ついて、丁重に礼を述べた。曲がりなりにも、あの「ウギャーッ!」の晩にツンドラを受け入れて、面倒見てくれた病院だからな。命あっての物種だ。