『蛇少女』


― 帰ってきた洋子 ―

 蜩の声を聴きながら、山川家の人々は、縁側でスイカを食べている。多分、この夏最後のスイカだ。
 「ハァ〜。」
サツキはスイカの切り身を片手に、大きなため息をついた。
「夏休みももうすぐ終わりか。洋子ちゃんの行方が判らなくなってから、もう四ヶ月以上経つのね…」
心の中で、サツキは思う。その間、洋子の身を案じない日は一日たりとてなかった。
 お父さんの届け出を受けて以来、警察による洋子の捜索は継続的に行われていた。しのばずの沼の潜水調査も実施されたが、なんらの手がかりも見つからず、洋子の行方は杳として知れなかった。
「わたしがあの時、引き止めていれば…」
激しく悔やむ気持ちが沸き起こり、サツキは唇を噛みしめた。
 「ずいぶんと日が短くなったねえ。今日は何日だい?」
昏れてゆく空を見上げながら、おばあちゃんが誰にともなく問いかける。
「今日?今日は、八月の二十八日よ。」
サツキが教えてあげると、
「八月の二十八日?おや、じゃあ中村の利平どんの命日じゃないか!」
と、おばあちゃんは記憶を蘇らせた。
「あの日も、こんな風に血を流したような真っ赤な夕焼けでねえ、子供心にも不吉な思いがしたのを、よ〜く憶えているよ。」
 おばあちゃんにとっては、他愛もない思い出話かもしれなかったが、タイミングがタイミングだけに、サツキは堪らない。両手で顔を覆うと、ワッと泣き出した。
「サツキ、ど、どうしたんだい?」
おばあちゃんが、ビックリして問いかける。籐椅子に座って煙草をプカプカとふかしていたお父さんも、スイカを噛ってはプップッと種を飛ばしていたカンナも、狼狽してサツキの顔を覗きこんだ。
 「利平どんをとり殺した怨念は、いまでも続いているのよ。わたしたちが呑気にスイカなんか食べているこの瞬間にも、うわばみは洋子ちゃんをどこかに閉じこめて、責め立てているんだわ。」
そこまで言うと、あとは言葉にならず、サツキはオイオイと泣きじゃくった。
 「まあまあサツキ、気持ちは解るが、あんまり思い詰めるもんじゃないよ。」
お父さんが、サツキの肩に手を置いて、なだめに掛かる。
「そうだよ。“神隠し”みたいに、そのうちヒョッコリ帰ってくるかもしれないじゃないか。」
 おばあちゃんの言葉に、
「その通りです。」
と応じる声が、庭先から聴こえた。一同が一斉に目を向けると、そこにはなんと、洋子がいるではないか。洋子は一群れのカンナの花をバックに、白いワンピースを着て、大きな革張りの旅行鞄に腰掛けていた。
 「わたし、うわばみのアジトに囚われて、ずーっとひどい仕打ちを受けていたの。毎日のようにぶたれて、身体中アザだらけよ。」
さも辛そうに、洋子は腰の辺りをさすって見せる。
「今日、ヤツが眠っている隙に、ようやく逃げ出してきたんです。お願いです。わたしをまたこちらに置いて下さい。」
胸の前で両手を合わせ、洋子は哀願した。

 思いもかけぬ洋子の帰還。心の重石が除かれ安心したサツキは、妹のカンナと枕を並べて、グッスリと熟睡していた。時刻は午前零時を少し回った頃。スーッと襖が開けられ、室内に入ってきたのは、パジャマ姿の洋子である。手には何やら小さな薬瓶のようなものを持っている。中に入っている真っ赤な液体は、うわばみ様の血液だ。
 「この血を飲ませて、サツキをヘビにしてしまいなさい。」
洋子の頭の中で、うわばみ様の指令が響く。
「フフフ、よく眠っているわ。」
クーカクーカと規則正しい寝息をたてているサツキの上にかがみこむと、洋子は小瓶の蓋を取り、微かに開いた唇の間から、うわばみ様の血を流しこもうとした。
 「アレ、洋子ちゃん?何してるの?」
突然声を掛けられギョッとなった洋子は、とっさに小瓶を背後に隠した。カンナが目を覚ましたのである。
「う〜ん、えぇ~っと、お手洗いに起きたんだけど、寝ぼけてお部屋を間違えちゃったの。」
「あ、そう。」
洋子の苦しい言い訳を気に留める風もなく、カンナはムックリと起き上がると、
「カンナもオシッコ。洋子ちゃん、一生のお願いです。うわばみが出ると怖いから、一緒に行って。」
と手を合わせた。

 お手洗いの扉の前で、カンナが用を済ますのを待ちながら、洋子は納得のゆかない展開に苛立っていた。
「もうちょっとで上手くいく筈だったのに、とんだ邪魔が入ったわ。どうしよう、早く結果を出さないと、うわばみ様に叱られる…」
アレコレと思案を巡らせる洋子の頭に、ある妙案が浮かんだ。彼女はポン!と手を打ち鳴らすと、口を耳まで裂けさせて、ニタリと笑った。