― 養子縁組 ―
サツキとカンナは、まだショックから立ち直れていない洋子を連れて、家路についた。いつまたヘビが襲ってくるやも知れぬと思うと、怖くてたまらなかった。
帰宅するなり、サツキはお父さんからこっぴどく叱られた。すぐに戻るという約束で白装束の女の後を追って出たまま、なかなか帰らぬ娘を心配してのことだった。だがお父さんは、サツキから中村家での事件のあらましを聞くと、血相を変えて駐在さんの家へと駆け出していった。
「洋子ちゃん、気分はいかが?」
そう声を掛けながら、サツキは襖を開けた。
「おばあちゃんが甘酒を煮てくれたの。一緒に頂きましょう。」
洋子は起き上がり、サツキを迎えた。帰宅するとすぐにフトンが敷かれ、洋子は横にならされたが、大蛇に襲われた恐怖が尾を引いていて、眠ることはできずにいた。
フーッ、フーッと息を吹きかけながら、二人はアツアツの甘酒を飲んだ。
「いったい何があったの?」
サツキは改めて、洋子に問うた。
「窓に大きなヘビのような影が映ったと思ったら、それがガラスを突き破って部屋に飛び込んできたのよ。」
そう言いながら、洋子の顔は見る見る蒼ざめていった。
「ばあやがとっさに庇ってくれたところまでは覚えているんだけど、わたし、気を失ってしまって、後のことは何も分からないの。」
「そうよね。そんな恐ろしい目に遭ったら、わたしだって気絶しちゃうわ。ねえ、ところでその前に、白い着物を着た女の人が訪ねてこなかった?」
中村家への小道を曲がったところで姿を消した女の行方が気がかりで、サツキは尋ねてみた。
「こなくってよ。どうして?」
「ううん、だったらいいの。忘れて。」
怪しい女の話などして、これ以上洋子を怖がらせてはいけないと思い、サツキは話題を打ち切った。
木の匙で甘酒をクルクルとかき回しながら、しばらくの間、洋子は何か物思いに耽る様子を見せていたが、やがて目線を上げてサツキを見ると、こう言った。
「ねえ、サツキちゃん、サツキちゃんも聞いたことあるでしょう?『中村の家はうわばみに祟られている』って話。村の人たちがそう噂しているのを、わたし、子供の頃から知っていたのよ。」
「え、そうなの?そんな話、わたしは聞いたことないよ。」
事実その夜、おばあちゃんから利平どんの話を聴かされるまで、サツキは中村家とうわばみの因縁について、何も知らなかったのである。
「ウチでは代々、当主が若死にしているの。ひいおじいさんの利平が、うわばみに取り憑かれたみたいになって亡くなったのが三十五歳。以降、祖父は三十七歳、父は三十九歳と、みんな四十になる前に亡くなっているのよ。」
サツキは黙ってうなずくしかなかった。この山間の村でさえ電気が灯り、飛行機が空を飛ぶ現代にあって、ヘビの怨みが末代まで祟るなんてことがあるものだろうか?と思いつつも、この夜起こった事件と、ついさっき目の当たりにした大蛇の姿を思い返すと、安易に否定することはできなかった。
「婆やはね、わたしが産まれた時から世話をしてくれた人なの。父と母が亡くなってからも、ずーっと傍にいてくれた。中村の血筋の人間ならともかく、なんの罪もない母やばあやまで殺すことはないでしょう。」
洋子の目から、涙が溢れた。
「本当に恐ろしい。次はきっと、わたしの番だわ。この先一人ぼっちで、どうやって身を守ったらいいのか…」
「ああ、洋子ちゃん、泣かないで。」
手の平で顔を覆って泣いている洋子の心細さが、サツキには痛いほど感じ取れた。
「そうだ、洋子ちゃん、このままずーっとウチにいればいいのよ。お父さんやおばあちゃんだって、きっとそうしなさいって言うと思うよ。わたしが洋子ちゃんをガードしてあげる。」
サツキは両手で、洋子の冷たい手を握った。
「だから、ネッ、もう“一人ぼっち”なんて言わないで。」
「お医者さんが見えましたよ。」
おばあちゃんが、襖を開けて言った。その背後には、ばあやの検視のために麓の町から呼ばれた医者が、白衣を着て立っていた。洋子は鎮静剤を注射してもらい、ようやく眠りに就いた。
検視の結果、ばあやの死因は窒息死で、全身の骨がバラバラに砕かれていたことが判った。翌日から、村をあげての山狩りが行われたが、うわばみは見つからなかった。
一週間ほどが過ぎ、騒動が一段落着いた頃、山川家に来客があった。訪ねてきたのは初老の男女で、二人揃ってミツウロコの紋が入った黒紋付を着ている。応対に出たおばあちゃんは、見知らぬ訪問者をいぶかしく思ったが、とりあえず客間に通した。
卓の前に座るなり、女の方が切り出した。
「突然にお邪魔致しまして、あいすみません。わたくしどもは、こちらから更に奥に入りましたところにある、さる旧家に仕える者でございます。今日は、洋子様のことでお願いの儀がございまして、伺いました。」
「洋子ちゃんのことでですか?」
「ハイ、わたくしどもの主人が、洋子様を養女に頂きたいと申しておりまして…」
思いもかけぬ申し出に、おばあちゃんはビックリ仰天して、茶を運んできたサツキに、お父さんを呼ぶように言った。日曜日で庭木の手入れをしていたお父さんは、縁側から上がってくると、おばあちゃんの隣に座った。
「こちらさんがね、洋子ちゃんを養女に欲しいっておっしゃるんだよ。」
「はあ?しかしまあ、急にそう言われましても、そちらのご様子も判りませんし…」
お父さんは、三年前に急死した洋子の父親とは同級生で、親友同士でもあったので、身寄りのない洋子の後見人となって、何かと面倒を見ていた。
「ごもっともでございます。主人は夫と子供に先立たれた未亡人で、一人住まいをしております。何しろ山の奥の奥でございますので、わたくしどもの他に話し相手もなく、それは寂しい毎日を過ごしておいでです。この度の洋子様のご災難をお聞きになりまして、奥様は大層胸を痛められたようで、ぜひ引き取りたいと。寂しい身の上の者同士で一緒に暮らせば、互いの慰めになるのではないかとおっしゃっておいでなのです。ね、じいや。」
「うんだ。」
頭頂部の薄くなった男の使用人が、初めて声を発した。
「それはそれは、ずいぶんとご親切な方ですな。しかし本人が、どう言いますか…」
ということで、今度は洋子が呼ばれた。洋子は事件のあった日以来、山川家に身を寄せていた。
サツキとカンナは、庭の藤棚の下に置かれた床几に腰を掛けて、座敷の様子を見守っていた。話している内容は聴こえなかったが、サツキにはこの二人連れが、何故だか薄気味悪く感じられてならなかった。身なりも所作もキチンとしているのだが、どこかまがまがしい雰囲気を漂わせている。蒼白い尖った顔に冷たい印象の三白眼、話していても表情に乏しく精気がないのは、二人とも同様である。悪いことが起こらねばよいがと、サツキは胸騒ぎを覚えた。
その夜、サツキは洋子から、養子縁組の話を受けることにしたと告げられた。不安はあるが、環境を変えるのも悪くないと思うので、とりあえず“モノは試し”のつもりで行ってみるというのである。
他ならぬ洋子自身の望みであれば、止める理由はなかった。二人連れは、一週間後に返事を聞きにきて、諾であれば、そのまま洋子を連れてゆくと言う。
「分かった。でももしイヤだなと思ったら、すぐに帰ってきてね。」
サツキには、そう言うのが精一杯だった。
果たして一週間後、彼らは山川家を再訪し、あっけなく洋子を連れ去ってしまった。