『蛇少女』


― 洋子の災難 ―

 サツキはカンナを伴い、見失わぬ程度の距離を保ちながら、白装束の女の後ろを歩いていった。
 春休みが明けると、彼女は中学三年生になる。緩いウェーブのかかった長い髪と華奢な身体つきに似合わず、極めて快活な性格で、小学生の頃は、男子たちから“山ザル”とあだ名されていた。齢の離れた妹のカンナは、この春小学校へ上がる。どこへ行くにも金魚のフンのように付いてきたがり、時に疎ましく思うこともあったが、自分とは違い、物心付く前に母親を亡くしている妹が不憫で、サツキはそれを許していた。

 うっすらと雪の積もった山道を、女は滑るように進んでゆく。その歩調はとても速く、後を追う二人は、小走りでないと付いてゆけないほどだ。片側が杉林、片側が渓流になっている緩い勾配の道を、女は登っていったが、林の中へ入る小道の角まで来ると、ヒョイと曲がった。
 「ああっ、洋子ちゃんちの方へ曲がったわ!」
そう、その小道の先にはサツキの同級生、中村洋子の家が一軒あるきりだ。サツキはカンナを急き立てて、曲がり角まで走っていったが、女の姿は既に見えなくなっていた。

 就寝前のひと時、洋子は机に向かって本を読んでいた。卓上ライトの光が、鼻筋の通った端正な横顔を照らしている。長いまつ毛に縁取られた目が追っているのは、代数学の参考書だ。大学の専門課程で学ぶような、極めて高度な内容であるが、彼女は難解な数式を次々と読み解きながら、抽象の世界に遊ぶ悦びを味わっていた。
 「お嬢さん、今夜は冷えますから、おフトンに湯たんぽを入れましょうね。」
襖を開けて、婆やが声を掛ける。三年前に、自動車事故で両親を亡くして以来、洋子はこの婆やと二人暮らしだ。
「ありがとう。婆やももう休んで。」
優しく応じながら、洋子は窓に目を向けた。雪の降る様子が見たくて、カーテンは開いたままだった。
 「雪灯りって、本当に明るいわね。電灯が要らないくらいだわ。」
洋子の言葉に誘われて、婆やも窓の方を見た。その時二人の目に、下からニュッと伸び上がる影のようなものが映った。ガラス越しのほの暗い空間に浮かぶその影は、細長くてっぺんが丸みを帯びていて、まるで、鎌首をもたげたヘビのように見える。
「ヘビ…?」
二人が呟くのと同時に、ガチャーン!と窓を突き破って、本当に、一匹の巨大なヘビが部屋に飛び込んできた。
 ヘビは畳の上に着地すると、とぐろを巻いて首を立て、ギラギラと光る右目で洋子を見た。シャーシャーと不気味な息遣いを響かせ、いまにも飛びかかってきそうな気配である。
 「お嬢さん、危ない!」
婆やはとっさに洋子に覆いかぶさったが、大蛇はバネのようにジャンプして、彼女の帯のお太鼓にパクッと食らいついた。そして、洋子から引き離したかと思うや、足元からグルグル巻きにしていった。
「く、苦しい…」
足首から喉元まで、凄まじい力でギュウギュウと締め付けられ、婆やはすぐに意識を失ってしまった。

 サツキとカンナが中村家の門の前まで来た時、ガチャーン!というガラスの割れるような音と、キャーッ!という悲鳴が聴こえた。
「洋子ちゃんの声だわ。」
ただごとならぬ様子を察知して、サツキは駆け出した。
 「洋子ちゃん!」
と呼びかけながら玄関の戸を開けると、中から何やら長いものがドドドドッと飛び出してきた。その勢いがあまりに激しかったので、不意を食らったサツキとカンナは、仰向けに倒れた。冷たい雪の地面に尻もちをついたまま、奇怪な物体の正体を見極めようとするサツキ。黒光りする身体をウネウネとくねらせながら、小道を横切り杉林の奥へ消えてゆくそれは、彼女がこれまでに見たこともないような、巨大なヘビだった。

 「洋子ちゃん!」
ベソをかいているカンナを引きずるようにして家の中に入ると、サツキは洋子の姿を求めて、部屋部屋の戸を開けていった。洋子の部屋は、廊下の突き当たりにある。襖を開けると、果たして二つの影が横たわっているのが見えた。
 「ああ、洋子ちゃん、いたわ!」
サツキは部屋の中へ足を踏み入れようとしたが、畳の上に、おびただしいガラスや木材のかけらが散らばっていることに気付いた。それだけではない。火鉢から転がり落ちた鉄瓶、ひっくり返って机の上を土まみれにしている鉢植え、グチャグチャに乱れたフトン…いったい何があったのだろうか?
 「ガラスが危ないから、カンナはここにいるのよ。」
妹にそう言い含めると、サツキはつま先立って、ソロリソロリと部屋の中へ入っていった。そしてまず、入口近くに倒れている婆やに声を掛けた。
「婆やさーん、大丈夫ですかー?」
「………」
反応がない。ひざまずいてそおっと触れてみると、その頬は氷のように冷たかった。
「し、死んでる…」
サツキは気が遠くなりそうになったが、洋子の安否を確かめなければと思い、なんとか気力を奮い立たせた。
 洋子は部屋の奥で、うつ伏せになって倒れている。
「洋子ちゃん、しっかりして!」
サツキが声を掛けながら背中を揺さぶると、幸いなことに、洋子はうっすらと目を開けた。
「サツキちゃん?」
目の前にいるのがサツキであることを理解すると、洋子はいきなり起き上がって、抱きついてきた。
「ああ、サツキちゃん!怖かったわ!ヘビ!ヘビが出たのよ!」
「わたしも見たわよ。胴回りがひと抱えもあるような巨大なヘビでしょう?」
 玄関から飛び出してきた大蛇が、洋子たちを襲った犯人(犯蛇)であることを、サツキは知った。