『蛇少女』


― 怪しい訪問者 ―

 「…というのが、この村で本当にあった出来事なんだよ。」
おばあちゃんはそう言うと、目尻にシワを寄せてニッコリ笑った。ここまで手に汗握って、おばあちゃんの夜語りに聴き入っていたサツキとカンナは、緊張から解き放たれて、ホウッと息をついた。時は昭和四十年、古い藁葺き民家の囲炉裏端、自在鉤に吊るされた鉄瓶からは、湯気がシュウシュウと音を立てて噴き出している。
 「うわばみって、牛とか馬でも丸呑みにするんでしょう?」
眉をひそめてサツキが問えば、
「そんなおっきいヘビが、本当にいるの?」
と、妹のカンナも半信半疑だ。
「さあねえ、おばあちゃんも実際には見たことがないから、なんとも言えないけど…でもとにかく、中村の利平どんが、おかしな死に方をしたのは確かなんだよ。ホラ、サツキの友だちの洋子ちゃん、あの子のひいお祖父さんに当たる人さ。」
 そう言いながら、おばあちゃんはお茶を淹れようとして、お茶筒の蓋を開けた。
「おや、お茶っ葉が切れてるね。サツキちゃん、取ってきてちょうだい。」
「ハイ。」
身軽に立ち上がると、サツキは鼻歌まじりに囲炉裏部屋と土間を隔てる板戸を開けた。

 「アッ!」
その瞬間、サツキの目に奇妙なものが映った。灯りを消された土間は真っ暗だったが、囲炉裏部屋から洩れ出た光がボンヤリと照らす窓の向こうに、細長い影が浮かんでいる。その形が、鎌首をもたげたヘビそっくりだったものだから、ついさっき、うわばみの話を聴いたばかりのサツキは、思わず
「キャアッ!」
と叫び声を上げた。
 「どうしたんだい、サツキ?」
心配して、おばあちゃんとカンナが様子を見にくる。サツキはその場にヘナヘナとへたり込んで、
「へ、へ、ヘビみたいな影が、ま、窓から中を覗いていたような…」
と答えるのが精一杯だった。おばあちゃんは、サツキが指さす窓をガラリと開けて、外を確かめると、
「バカだね。何もいやしないよ。」
と笑った。そして、
「おやまあ、やけに冷えると思ったら、外は雪だよ。」
と言いながら、窓を閉めた。

 その時、土間の戸をトントンと叩く音がした。心臓が縮み上がるくらいビックリしたサツキが、
「誰か来た!きっと、さっき覗いていたヤツだわ!」
と叫べば、カンナも
「あ〜ん、怖い!」
と言って、姉に抱きつく。
 「もし、ごめん下さいまし…」
外から女の声が呼びかける。
「なんですね、二人揃って意気地のない。ハイハイ、ただいま。」
抱き合ってガタガタと震えている孫たちを尻目に、おばあちゃんは引き戸に歩み寄ると、心張り棒を外して戸を開けた。
 ヒュウ〜。雪まじりの冷たい風が、土間に吹き込んでくる。戸口には、一人の婦人が立っていた。白い着物の上に白い外套を羽織り、これまた白い頭巾で頭と肩を覆っている。そして、その装束に負けぬくらいに白いのが、婦人の肌の色である。左眼を黒い眼帯で隠してはいるが、大変な美貌の持ち主であることは、夜目にも明らかであった。
 「行きずりの者ですが、突然の雪ですっかり凍えてしまって…」
深みのあるアルトの声で、彼女は言った。
「少しの間、暖を取らせて下さいませんか?」
婦人の佇まいの美しさに見とれていたおばあちゃんは、我に返って、
「ど、どうぞ。」
と答えた。

 囲炉裏の火が燃え盛る板の間に招き入れられても、婦人はしばらくの間、寒さで震えが止まらぬ様子だった。おばあちゃんは、
「あなた、もっと火の近くにお寄んなさい。」
と言いながら、板戸の陰からコワゴワ覗いているサツキとカンナに、
「お前たち、薪を持ってきておくれ。」
と命じた。
 家の裏手にある薪置き場で、カンナが捧げ持つ籠に薪をボスボスと入れながら、サツキは納得のゆかない表情である。
「変だと思わない?“行きずりの者”なんて言ってたけど、こんな時間になんの用があって、この村をウロウロしているのかしら。」
「あの人、『寒い、寒い』って言いながら、なかなか囲炉裏に近寄ろうとしなかったよ。」
「やっぱりヘビよ。ヘビが人間の女に化けてるんだわ。だから、火が怖いのよ。」
「ぎゃ〜、ウロコを落としてったりして。」
二人は想像力たくましく、好き勝手なことを言い合った。

 「お蔭様で、ようやく暖まりました。」
おばあちゃんが呈したお茶を飲みながら、婦人は言った。
「もうすっかり春だと思って出かけて参りましたのに、この雪ですもの。まったく、山の天気はアテになりません。」
「ええ、ええ、本当に。」
季節は三月の末、彼岸はとうに過ぎているが、標高の高い山中村では、この時期の降雪は珍しいことではない。
 「では、そろそろおいとま致します。」
一服のお茶を飲み終えると、婦人は居住まいを正して、頭を下げた。
「もう行かれます?雪が止んでからになさったら?」
おばあちゃんが親切に勧めるが、婦人は、
「いえ、訪ねる人がありますので。」
と、きっぱり答えた。

 「ありがとうございました。ごめん下さいませ。」
戸口で改めて礼を述べると、婦人はまだチラホラと雪の舞う中、白い裳裾をひるがえしながら、歩み去っていった。
 その後ろ姿を見送るサツキは、どうにも落ち着かない。
「こんな夜更けに、誰を訪ねていくのかしらね?」
「みんな、もう寝る時間だよ。」
カンナの言う通りだ。どうも、良くないことが起こりそうな気がしてならない。怖いのは山々だが、胸騒ぎと好奇心が勝り、サツキは彼女の跡をつけることにした。