『サチコのサチ』


《第十章》

― 焼肉 ―

 「ハァ~。」
革張りのソファに身を沈めて、中山社長は深いため息をついた。お引っ越しが済んだばかりの、『ハレルヤ・プロ』の新オフィス。三十六階建ての超高層ビルとはいかなかったが、幹線道路に面した新築のオフィス・ビルは、どこもかしこもピカピカだ。エレベーターは三基もあるし、応接室だって、今度の物件は、ちゃんと壁で仕切られている。
 「本当にやめちゃうの?いまが人気の絶頂なのに?」
目の前に座っている『ザ・ミッションズ』の面々に向かって、社長は問いかける。
「『枯葉のワルツ』のセールスだって、グングン伸びてるよ。もったいないと思わない?」
「はぁ、でもオレたち、もう充分燃焼したと言うか…」
覇気のない声で、ヨシオがボソボソ呟く。
「モチベーションが消滅したと言いますか…」
視線を下に落としたまま、ワタルがそれに続く。
「だから、フツーの男の子に戻りたいんです。」
最後に、そんな言葉でミチオが結び、来年三月で終了する契約を更新する意志のないことを示した。

 お月見の夜を境に、サチコは忽然と姿を消した。彼らはいま、圧倒的な喪失感の只中に居る。
「どうした、みんな暗いじゃないか。秋のメランコリーか?」
普段とは打って変わって、ひどく萎れた様子の三人に、社長はうろたえた。
「そう言えば、ゴローも最近、ヤケにボーッとしとるし、いい若いもんが揃いも揃って、困ったもんだ。」
そのゴローは、目の下にクマを作り、虚ろな視線を宙にさまよわせている。
「メランコリーなんてものはな、旨いものをたらふく食って寝れば、治っちまうもんだよ。そうだ、いまから焼肉に行こう。君らには、まだまだ稼いでもらわにゃならんからな。弱気になられちゃ困るんだ。」
 一人、前向きな社長は、今後の仕事の構想を矢継ぎ早に語った。
「まずは、新曲のレコーディングだろ。年末商戦の仕込みだな。年が明けたら解散宣言。そこからは引退興業まっしぐらだ。ラスト・シングルとセカンド・アルバムを同時発売して、売れるうちに売りまくる。そして、三月にはサヨナラ・コンサートだ。東京で一回だけ開催し、その模様はライヴ・アルバムに仕立てて、解散後に発売する。ホホ、忙しくなりますよ。」
 社長は、ぶ厚い手のひらをこすり合わせながら、頬を緩ませた。頭の中で、ソロバンを弾いている時のクセである。そして、口を半開きにして上の空でいるワタルに向かって、こう言った。
「どうだね、パウロ、サヨナラ・コンサート用に、一曲書いてみるかね?」



― サヨナラ・コンサート ―

 若者たちは、〈焼肉なんかで、この胸の虚しさを埋められるもんか〉と思ったのだが、畏るるべきは肉のチカラ、良質のたんぱくを大量に摂取した彼らは活力を取り戻し、残された職務を律儀に務め上げた。
 そして迎えたサヨナラ・コンサート当日。一回限りの公演ということで、チケットには高額のプレミアが付いた。激しいチケット争奪戦を勝ち抜いてコンサート会場に足を踏み入れることができたファンたちは、開演前から異様な熱気を発散している。

 ブザーの音とともに場内が暗くなり、スルスルと緞帳が上がると、眩いライトの光の中に、『ザ・ミッションズ』の三人がにこやかに微笑んで立っていた。客席の乙女たちは叫び声を上げながら、一斉に立ち上がった。
 エムシーなしで、いきなり演奏が始まる。彼らのデビュー曲、『サファイアの夜明け』だ。およそ一年半ほどの短い活動期間ではあったが、楽曲に恵まれ、バンドは数々のヒット曲を世に送り出した。それらが次々と演奏されてゆく。
 にわかミュージシャンの彼らは、超絶技巧の持ち主ではなかったが、デビュー以来ずっと、一音一音手を抜かず、心を込めて演奏してきた。優れた音楽は、人の心のカオスから、最も美しい感情を導き出す。『ザ・ミッションズ』として舞台に立ちながら、彼らは幾度か、会場内が人の善意で満たされているかのような感覚を覚えることがあった。
 元はと言えば、“ヨシオの免疫力アップのため”という名目のもとに、軽いノリで始めた芸能活動である。三人とも、学業と仕事の両立でやたら忙しくなっただけで、芸能人が集う華やかなスポットに出入りするヒマもなければ、グルーピーを引き連れて、ホテルで酒池肉林のバカ騒ぎを繰り広げるチャンスもなかった。ヨシオを揺るがない大人の男に成長させるだけの経験が積めたかどうかは定かでないが、名前も知らないたくさんの人たちと霊的に結び付けられた記憶は、これからの彼らにとって、かけがえのない宝となるであろう。
 この日を限りに、『ソロモン・ルカ・パウロ』の名を返上する三人の若者は、客席から押し寄せる、強烈な愛の波動を感じた。彼女たちは、“愛したい”のだ。自分たちは、その願望を成就させるための触媒に過ぎない。それを知りつつ、彼らは乙女たちのピュアな情熱を、心から愛おしく思った。二階席の手摺に腰かけるサチコの姿はもはやなかったが、真剣な眼差しで自分たちを見つめる乙女たち一人一人に、サチコの面影が重なった。

 「みんな、ありがとう!いよいよ最後の曲になってしまいました。」
パウロのエムシーに、客席からは「いや〜ん」と声が上がる。
「ボクたちのラスト・シングル『夕陽のミッションズ』、聴いて下さい。」
 デビュー当時とは比較にならないくらい腕を上げたパウロのギター・ソロで曲が締め括られると、ゆっくりと緞帳が下りて、お辞儀をしている三人の姿を隠した。
「パウロー!」
「ルカー!」
「ソロモーン!」
それぞれのご贔屓の名を呼びながら、乙女たちはアンコールを待つが、幕は上がらない。客席には、〈え、これでおしまいなの?〉と、当惑した空気が漂い始めた。やがて、誰かが「アンコール!」と声を上げると、会場全体が手拍子を鳴らしながら、
「アンコール!アンコール!アンコール!」
と、それに唱和した。

 期待は裏切られず、ほどなくして再び幕が上がった。その時、彼女たちが目にしたのは、王子の衣装から藍染の浴衣に着替えた、三人のイナセな若い衆であった。客席からは、驚愕と歓喜を込めて、「キャーッ!」という叫びが湧き起こる。舞台は祭り提灯と桜花で賑々しく飾られ、紅白の幕で覆われた台の上には、揃いの浴衣を着た囃子方と踊り手たちが、ズラリと並んでいる。

 「ドドン、ドン!」
 「テケテッテ」
 「ドドン、ドン!」
 「テケテッテ」

 ソロモンとルカの、息の合った掛け合いで、太鼓が鳴り始めた。パウロが乙女たちに語りかける。
「みんな、待たせてごめんね。この日のために、ボク、曲を作りました。今日、この会場に来られなかった、ボクたちの大切な人、小日向幸子さんに捧げます。『サッちゃん音頭』!」
 「コビナタサチコって、誰?」
「ホラ、あの事故で亡くなったコよ。」
客席で、ヒソヒソと言葉が交わされる。

♪青い夜空に月が出りゃ
 思い出すのさ、あの娘のことを
 白いほっぺにお下げ髪
 ボクの可愛いサチコさん

 花は十六、七分咲き
 長いまつ毛の清らな乙女
 ある日突然行方も告げず
 旅に出かけたサチコさん

 なぜに戻ってきてくれぬ
 ひと目だけでも会いたいものを
 サッちゃんチャ・チャ・チャ
 サッちゃんチャ・チャ・チャ
 サッちゃん、今頃どこにいる?♪

 ワンコーラスを歌い終えたところで、パウロが
「みんなも踊って!」
と、客席を煽った。
「踊り手さんたちの動きを真似すれば、簡単に踊れるよ。みんな、やってみて!」
バックでは、大太鼓、小太鼓が鳴り続けている。スピーカーなど通さなくても、ハラにズンズン響く太鼓の音に、踊り出したくてウズウズしていた乙女たちは、一斉に踊り手に習って手足を動かし始めた。
 「うん、いいね。みんな、上手いじゃないか。じゃ、ノッてきたところで本番行くよ。二階の人たちもいいかい?イチ、ニィ、サン、ソーレ!」

♪しっかり者のお姉ちゃん
 大好きなのはお母ちゃん
 心やさしく力持ち
 愛で溢れたサチコさん

 フワリたなびく雲に乗り
 丸い地球を眺めているか
 サッちゃんチャ・チャ・チャ
 サッちゃんチャ・チャ・チャ
 サッちゃん、オイラが見えるかい?

 いまは姿を隠しても
 めぐる季節のどこかで会える
 サッちゃんチャ・チャ・チャ
 サッちゃんチャ・チャ・チャ
 それまで音頭で踊りましょ
 アソーレ
 サッちゃん音頭で
 踊りましょ、踊りましょ♪

 乙女たちは、パウロの歌に合わせて踊り狂った。場内はいまや興奮の坩堝と化し、盆踊りとゴーゴー喫茶を混ぜ合わせたところへリオのカーニバルをまぶしたような様相を呈している。
 舞台の裾で、その展開を見ていた中山社長が、傍らのゴローに言った。
「見事に当たったな、ゴロー。」
「ハイ。」
『ザ・ミッションズ』が売れて事務所のステイタスが上がったことで、所属歌手やスタッフの数も増えた。いまのゴローの名刺には、《営業部長》という役職名が記されている。
 「まったく、どんな曲を書いてくるかと思っていたら、パウロのヤツ、オレの想像力を軽々と超えやがった。いやはや、大した連中だよ。どうだ、このうねり。エイトビートより、遥かに気持ちいいじゃないか。」
「手放すのは惜しまれますか?」
ゴローが問うと、社長は
「いや。」
と、あっさり言った。
「GSブームはもう終わるよ。ここらが潮時だ。」
 社長の言葉は、ゴローを驚かせなかった。ブームにあやかろうとおびただしいバンドが粗製乱造された結果、グループサウンズは、全体的な質の低下を招いた。一握りの傑出したバンドの背後で、亜流のバンドがドングリの背比べのようにひしめき合いながら、画一的なファッションで現実離れした色恋の歌を演奏する状況に、大衆の心は倦みつつあったのである。
 「これからは、フォークの時代が来るぞ。若者たちは、等身大の自分たちの思いを代弁してくれる歌を求めているんだ。」
こう言うと、社長はその三白眼でゴローを見据えて、新たなミッションを与えた。
「ゴロー、明日から街へ出て、お前がこれぞと思うフォークシンガーを発掘してこい。」



― 帰省 ―

 最後にサチコの魂を歌で荘厳して、『ザ・ミッションズ』は解散した。久方ぶりに帰省したワタルは、虚脱状態の中にあった。朝から社殿のきざはしに腰を下ろして、ボーッとしている。その視線の先には、「シャッ、シャッ」とリズミカルな音を立てて参道を掃き浄める父、汎の姿がある。汎は手早く掃き掃除を終えると、今度はしゃがみ込んで、参道脇の草を抜き始めた。手伝わねばとは思うのだが、どうにも気怠く、体が動かない。グズグズしているうちに、汎は抜くべき草を追いながら、ワタルの近くまで来た。
 「父さん、よく動くね。」
ワタルは、きまり悪そうに声を掛けた。
「ん?いやぁ。」
草取りに熱中していたのであろう。汎はこの時初めて、ワタルの存在に気付いたようだった。
「神社という所は、色んな人が色んな思いを抱いて訪ねて来るからの。スッキリして帰ってもらうには、環境の美化が一番なんじゃよ。ワシはまぁ、そのための庭男みたいなもんじゃな。」
そう言いながら立ち上がると、汎は腰を反らせた。
 「そう言えば、あの子は無事、行ったようじゃの。」
“あの子”とは、サチコのことである。
「ハイ。その節は、ありがとうございました。」
「ハハ、ワシはなーんもしとらんよ。」
汎は、サチコの霊と交信した短い時間を思い返すように、目を細めて宙を見た。
 「礼節、思慮深さ、温情、勇気…たくさんの美質を備えた、立派な魂じゃったの。」
「ハイ。」
自分が褒められたわけでもないのに、ワタルはなんだか誇らしい気分になった。
「なんでお前なんぞに取り憑いたか、ワシゃあそれが解せんわい。」
「ひどいな。」
オチはそこかと、ワタルはふくれっ面をしてみせる。
「いや、冗談抜きで、もしあの子に節操がなければ、お前、連れて行かれとったぞ。」
最後にワタルを少しだけゾクッとさせると、汎はカラカラと笑った。

 参道を、幾人かの氏子衆がやって来る。来月執り行われる播種祭の打ち合わせがあるのだ。
「ワタル、お前、あとやっとけ。」
汎は鎌を手渡すと、客人たちとともに社務所へ入ってしまった。
 ワタルは父の言い付けに従い、しゃがみこんで草を抜き始めた。一つ抜くと、すぐ側に次の草が見つかり、それを繰り返すうちに、時の経つのを忘れる。なるほど、草取りというのはハマる作業である。
 ワタルの郷里のような地方の山間地でも、右肩上がりの経済成長は、貪欲に追求されている。近隣の山はゴルフ場建設のために切り崩され、国道を車で走れば、田んぼの中で、派手な看板が客寄せをしている。土地を遊ばせておくのはもったいない、という発想だ。
 だが、たとえビタ一文産み出さなくとも、いや、逆に手間ヒマ経費が掛かるとしても、人には、神威を感じてへり下ることのできる空間が必要である。慣れ親しんだ美しい風景が凌辱されてゆくのを見るのは悲しいことではあるが、声高に環境保全を叫ぶのは、自分の柄ではない。父に倣い、草を抜き落葉を掃くことで、せめてこの領域だけは守ってゆこうと、改めてワタルは思うのであった。

 目に付く草をあらかた抜き終えると、正午近くになっていた。風は止み、鳥の鳴き声も聴こえず、いま、常盤山荒神社の境内は、圧倒的な静けさに満たされている。ワタルはふと、しばらく遠ざかっていた笛を吹いてみたくなった。彼は、自分の部屋から愛用の笛を持ち出してくると、再び社殿のきざはしに腰を下ろし、古くから伝わる神楽の旋律を吹き始めた。
 吹くほどに澄んでゆく心に、過ぎ去った春の日、窓辺で彼の笛に耳を傾けていたサチコの姿が浮かんだ。
「サッちゃん、いまはどこに居るんだい?会いたいよ。」
閉じた瞼から、温かい涙が流れ落ちる。
 確かに、一人の人間の死は、一匹の虫の死と等価かもしれない。しかし、それを悼む者にとっては、この上もなく重い。人は、死者との長い対話を通して、喪失の痛みを乗り越えてゆくしかないのだ。
 いつしか、ポツポツと木の葉を鳴らして、垂れ込めた雲間から雨が降り始めた。次第に強くなる雨音に、ワタルの笛の音が重なる。春の雨はいつまでも優しく、古い社の上に注ぎ続けた。





2022. 12. 30  Tundra