《第五章》
― 居候 ―
以上のような経緯で、サチコは橘家の居候になった。居候とは言っても、ゴハンを食べるわけでもなければ、お水もお線香も要求しないので、まことに手が掛からない。
彼女は自分の居場所として、店の背後にある納戸を選んだ。茶葉や商売用の備品などがストックされているその部屋には窓がなく、灯りを点けないと真っ暗だった。ユーレイのサチコとしては、居心地がよかったのであろう。
普段彼女は、茶箱と茶箱の間の狭い空間にひっそりと身を潜め、気配を消していたが、ワタルたちが『ザ・ミッションズ』として活動を始めると、俄然、活性化した。歌番組の収録時には必ず、スタジオの隅の暗がりに座り、彼らのパフォーマンスを熱心に見つめるサチコの姿があった。そして、そんな彼女の存在を意識することで、『ザ・ミッションズ』の演奏も、これまでよりさらに親密で、心の込もったものになるのであった。
春が再び巡り来て、ワタルは大学二年生になっていた。予想外にバンドがブレイクしてしまい、仕事と学業を両立させるのは大変だったが、最初の約束通り、ゴローがスケジュール調整してくれたお陰で、なんとか進級に必要な単位数を取得することができた。親に学費を出してもらっている以上、留年するわけにはいかない。
五月のある昼下り、珍しくなんの予定もない一日を得たワタルは、自分の部屋でボンヤリと物思いに耽っていた。この一年余りの間に、我が身に起きた出来事の数々を思い返し、のどかだった郷里での日々との落差の激しさを、いまさらながらに感じていた。上京、進学だけでも大きな環境の変化なのに、さらにグループサウンズ活動、そしてその副産物として、よもや、ユーレイとひとつ屋根の下で暮らすことになろうとは…ユーレイ?霊、霊、ユーレイ…
頭の中にひとつのメロディが浮かんだワタルは、神楽笛を取り出すと、それを吹いてみた。バンドではエレキギター担当だが、彼にとって、一番自分の思いを乗せやすい楽器は、やはり、子供の頃から慣れ親しんだ神楽笛である。しばらくの間、自然に発展してゆくメロディを追いかけて、無心に吹いていたが、初夏の爽やかな風を感じて、開け放った窓辺に目を向けると、そこにサチコが座っていた。
「やあ、サッちゃん、いたんだね。」
「ステキなメロディが聴こえてきたので、お邪魔しちゃいました。」
「サッちゃんのことを考えてたら、一曲できちゃったから、スコアにしておこうと思うんだ。」
「えぇっ、歌って下さい!」
「フフフ、まだヒミツだよ。歌詞が全部できたらね。」
ワタルはいたずらっぽく笑った。
― ユーレイ・パラダイス ―
アコースティック・ギターを抱えて、ワタルは《ハレルヤ・プロ》の応接コーナーに座っている。今日は、中山社長に初の自作曲を披露するのだ。ゴローにヨシオ、ミチオ、そしてサチコも、期待に満ちた面持ちで、彼を取り囲んでいる。
「本番より緊張するな。」
そう思いながら、ワタルはお辞儀をした。
「では、歌わせて頂きます。曲名は、《ユーレイ・パラダイス》です。」
「ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ」
歯切れのよいシャッフルのリズムで、前奏が始まる。
♪僕の心の恋人は 可愛いユーレイ
ある日突然現れて 僕に取り憑いたのさ
雨の降る日も風の吹く日も
寝ても覚めてもあの娘のことばかり
胸はいっぱい 食欲不振
僕はやつれてゆくばかり
笑顔ひとつでのっとられたアタマの中で
まるで僕をあざけるように飛びまわる
ファイアボール♪
ブルーノート織り込んだ陽気な曲調に、皆が体を揺すり、リズムを取り始める。
♪閉じたまぶたの裏側で 今宵も踊る
青い光に包まれた 彼女の妖しい姿
道でバッタリ出会っただけで
僕の哀れなハートは凍りそう
話しかけようとためらううちに
姿を消してしまうのさ
伸ばす両手をすり抜ける苦しい恋は
暗い雲間にひらめき僕を貫いた
サンダービーム♪
セカンド・コーラスの後に、短い間奏が続く。近頃では、ワタルのハーモニカもすっかり板に付き、この楽曲のブルースっぽいテイストを、上手く表現している。
♪街の男はみんな夢中さ
誰も争いデートに誘いたがる
だけど彼女は見向きもせずに
冷たいアイスに夢中なんだ
僕の想いは届かない
つれないユーレイ
いつか白いその手をとって
行きたいなパラダイス♪
ギターの音量を上げながら、ワタルはコーダへと入ってゆく。
♪レーイレーイレーイレーイ
ユーレイヒ
レーイレーイレーイレーイ
ユーレイヒ
レーイレーイレーイレーイ
ユーレイヒ
彼女はユーレイヒ
彼女はユーレイヒ
可愛いユーレイヒ♪
最後はテンポを落とし、軽妙なアルペジオで歌を締め括った。
賛嘆の声とともに、皆が拍手を送った。サチコは嬉しさと照れ臭さで、頬を紅潮させている。
「いや、たまげた。君は、曲も書けるんだな。」
興奮の面持ちで社長が言えば、ゴローも、
「最後のヨーデルの裏声、女の子たちに絶対受けると思うよ。」
と、太鼓判を押す。
「次のシングルは、これで行けるんじゃないか。わたしがレコード会社に掛け合うよ。来月には初のLPも発売されるし、夏には全国ツアーだ。ガンガン稼いでもらいますよ。」
社長は鼻息を荒くしながら、分厚い手のひらを揉み合わせた。
― 氏子衆 ―
「シャッ、シャッ」
竹箒の音を響かせながら、刑部汎(オサカベヒロシ)は玉砂利の上を掃いている。照葉樹と広葉樹が雑多に生い茂る神社の境内は、一年を通して、落ち葉掃きが欠かせない。常盤山荒神社は、その由緒を辿れば、この地に荘園の拓かれた奈良時代にまで遡る、古い社である。かつては、何人もの神職や巫女が仕えた時代もあったが、地域の過疎化とともに氏子の数も減り、いまは、彼一人が宮司としてお守りをしている。
「宮司さーん。」
遠くから呼ぶ声に顔を向けると、氏子総代の原口さんが参道を歩いてくる。鳥居の手前には長い石段があるので、強い陽射しも手伝って、原口さんは汗だくだ。
「これは総代さん、どうなすったね?」
「いや、ちょっと宮司さんに尋ねたいことがあっての。」
「ほ?ほいじゃまあ、中へどうぞ。」
汎は原口さんを、座敷へといざなった。
「どうぞ。」
手際よく茶を淹れると、汎は客に勧める。
「ありがとう。」
原口さんは、一口啜るとタバコに火を点けて、
「宮司さんの淹れるお茶は、いつ頂いても美味しいのぉ。」
と、目を細めた。そして、
「なぁ、宮司さん、あんた、近頃流行りのグループサウンズちゃあ分かるかね?」
と、本題に入った。
「グループサウンズ?あの、長髪で賑やかな音楽を演奏する楽団のことかね?さぁて詳しくは…わしゃ、歌番組はほとんど見んもんでなぁ。」
「いや、そのグループサウンズの『ミッションズ』とかいう楽団で歌いよる男がの、宮司さんとこのワタルさんによう似とるちゅうて、氏子衆が騒いどるんじゃ。」
「はぁ?ワタルにかね?」
「ああ、そう言われて、ワシも試しにテレビで見てみたんじゃが、なんとのお似とるような、似とらんような…なにしろ、ヒラヒラした衣装を着て、女みたいに髪を長くしとるし、ワシの知っとるワタルさんとは大分様子が違うもんで、よう判断がつかんかった。」
「そうかね。そしたらワシも、いっぺん見てみようかの。」
「ああ、お願いしますわ。まあ、ワタルさんに限って、あんなイカレた連中の仲間に加わるようなことはないと思いますがな、わっはっは。」
大口を開けて笑うと、原口さんは、近く執り行われる御田植祭に話題を移し、小半刻ほど話しこんだ後、帰っていった。
― 全国ツアー ―
大学が夏休みに入った七月半ば、ヒットチャートを急上昇中の『ユーレイ・パラダイス』を引っさげて、『ザ・ミッションズ』の全国ツアーが始まった。北から南まで、ニ十五の主要都市でコンサートを行う、巡業の旅である。武雄と初江には、「神楽研究会のフィールドワークに出かける」と言い置いて、彼らはゴローの運転するバンに乗り、東京を離れた。
ツアーには、サチコも同行していた。中学校の修学旅行以外、旅行などしたことのない彼女にとって、この旅は、驚きと発見の連続であった。バンの荷台に座り、車窓から見る風景、風物に感嘆の声を上げるサチコの無邪気さは、ハードなスケジュールを課せられた男たちの疲れを癒した。
荷台の硬い床ではオシリが痛かろうと、前の座席に移るように勧めても、サチコは、
「いいんです。ここが一番落ち着くんです。」
と言って聞かなかった。ユーレイにはユーレイなりの感覚があるらしい。そんな彼女のために、彼らは、フカフカのクッションを置いてやった。
ツアーの日程は順調に消化され、一行は、ワタルの郷里にほど近い、さる地方の中心都市へとやって来た。背後に広大な山地が連なる、風光明媚な町である。
その日、サチコはいつものように二階席の手摺に腰掛けて、開演を待っていた。音響が良く視界も遮られない、彼女だけの特等席である。満員御礼の会場は、高揚した乙女たちの熱気で、いまにも発火しそうだ。そんな中、サチコはふと、自分を見つめる視線を背中に感じた。振り返ると、白いシャツを着た一人のオジサンと目が合った。ユーレイになってからというもの、ワタルたち以外の人間と視線を交すことのなかったサチコは、驚いて、問いかけるようにオジサンを見つめ返した。女の子に挟まれて、二階席の最後列に座っているそのオジサンは、そんな彼女に向かって、ゆっくりと頷いてみせた。
丁度その時、ステージの幕が上がった。そして、「キャーッ」という叫び声とともに、会場全体が総立ちになり、オジサンの姿を隠してしまった。
コンサートが終了し、ワタルたちが楽屋で着替えをしていると、部屋の外がにわかにザワついた。
「お客様、困ります!こちらは関係者以外、立入禁止です!ご遠慮下さい!」
闖入者を制止しようとするゴローの声が、ドアの前で響く。
「ほう、そうかね。ワシは、まさしくその関係者じゃよ。おーい、ワタルー!ワタルはおらんかー!」
聴こえてくるのは、紛れもなく父、汎の声である。観念したワタルは、騒ぎを収束させるためにも、ソロソロとドアを開けた。
「おっ、ワタル、ここにおったか。」
楽屋のドアから半身を覗かせている息子の姿を見つけると、汎は嬉しそうに笑った。
「父さん、お久しぶりです。」
とりあえず、ワタルは頭を下げた。彼の背後では、予期せぬ伯父の出現に、ヨシオとミチオが固まっている。
「うん。お前が近所へ来るようじゃったから、ホレ、柿の葉寿司を持ってきてやったんじゃ。」
「あ〜、ありがとう!」
柿の葉寿司は、ワタルの子供の頃からの好物である。彼は大喜びで、父の差し出す風呂敷包みを受け取った。
「アレッ、でも、どうしてボクだって判ったの?」
「バカもん!どんな扮装をしていようが、自分の子を見分けられない親が、どこにおる。」
ヨシオとミチオの脳裏に、自分たちの親の顔が浮かんだ。
「心配するな。氏子衆がちぃーっと騒ぎよったが、適当にごまかしといた。『あんな田舎もんが、グループサウンズなんてあり得ん。他人の空似じゃ。』ちゅうたら、みんな、『もっともじゃ。』ちゅうて笑っとったよ。」
ワタルは、返す言葉がなかった。
「用はそれだけじゃ。電車がなくなるから、ワシはもういぬるぞ。いや、なかなかいい演奏じゃった。あれは、神様が喜ぶ音楽じゃ。」
そう言いながら汎は踵を返し、部屋から出て行こうとしたが、ドアの手前で足を止めると振り返り、息子と甥たちに向かって、
「お前たち、落第だけはするなよ。」
と、クギを刺した。それから、思い出したように、
「ああ、それからアンタ。」
と、ワタルの隣で事の成り行きを見守っていたサチコに向かい、話しかけた。
サチコは、メンバーの着替えが終わるのを廊下で待っていたのだが、客席で目が合った謎のオジサンが現れたので、その跡を追いかけて、楽屋内に入ってきていた。突然話しかけられたサチコは、ペコリとお辞儀をした。
「時が来たら、行くべき処へ行きなさいよ。な〜に、大丈夫じゃ。アンタなら分かるじゃろ。」
そう言われて、サチコはなぜだか急に、泣きたいような気持ちになった。そして、コックリと頷いた。
汎は再び踵を返すと、
「レーイレーイレーイレーイユーレイヒか、こりゃ、調子がよくて病みつきになるな。ハハハハ。」
と笑いながら、唖然とするワタルたちを残して、風のように去っていった。